sora tob sakana 解散によせて part2

 sora tob sakanaが昨日行ったラストワンマンライブ「untie」をもって解散しました。
 みなさんお疲れさまでした!

 前回解散についてpart1と銘打って書いてから、part2を解散後に伸ばすつもりはまったくなかったんですけど、なんやかんやしているうちに今日になってしまいました。いまは配信アーカイブみながら書いてる(と思ったけど通信悪くて途切れるようになっちゃったからとりあえずオフ)。

 このブログは私が書きたいことを書く場であり、読者諸氏が読みたいことを書く場というわけではなく、かつ、多くの方が語り尽くしたオサカナ解散へのエモまり極まる思いや悲しさをトレースしてもしょうがないので、私は自分なりの狂った気持ちをこれから書きます。

うつんさんは誰推しなのか

 この世に、この問いかけをしてくれる人はめったにいません。おい、傍からみたら完全に誰推しなのかわかりすぎるからとか言うな!2015年以後、それなり阿呆のような金額をチェキ撮に積んできたにもかかわらず、メンバーからも「この人は私推しだ」という対応をされたことはついぞございませんでした!!怒ってないよ!!←
 そんななか、どういう経緯か全く覚えていないけど私のことを明確に"れいちゃん推し"と記憶し、ちょいちょいれいちゃん情報を小耳にいれてくるおじさんもいました。誰とはいいませんが!!!誰とはいいませんよ!!!!卒業が発表された後、そして卒業した後も、なんやかんや推しが卒業した傷心を癒やしてくれようとしたのかれいちゃんの話題を振ってくるのどういうことなの?!と思っていましたが、何がいいたいかと言うと、わたしはれいちゃん推しでした。
 もちろん、読者の皆様がご想像の通り、別の推しがいましたので、れいちゃん卒業後も他界も絶命もせずのうのうと生きながらえたわけですが、その日を境にsora tob sakanaというグループの見え方が大きく変化したこともまた事実です。まずなにより、メンバー3人を気持ちの偏りなく見つめることが出来た。それぞれの、良いところ、そうでもないところが見えてきて、SNSの投稿も以前よりずっと気になりだして、曲もよりフラットに聴けるようになった。れいちゃんが卒業したのがきっかけでオサカナ愛が増えました、などと書いたら流石にそれは猛烈に違和感があるんだけど、でもそれに近い現象が起きた気がしないでもない。
 シンプルに、誰とでもチェキを撮るようになったし、ステージ上でのパフォーマンスを見つめる時間も増えたってことだよね。

魅力の再発見

 もしれいちゃん推しのまま、れいちゃんがやめるタイミングで解散ということになっていたら、みんなのことをこれだけの言葉では語れなかったと思う。おさかな本にも書いたし、みんなに送った手紙にも書いたので、重複することもあるかもしれないし、でも別のことも書きたいので、思っていることの主体からすこしずれているかもしれないけど、書いていきたいと思います。

 ふぅちゃん。もうふぅちゃんは、とにかく努力の人だと思ってみてました。そしてアイデアを出せる人で、実行できる人で、人の期待を感じ取り、それになろうとし、GAPを埋めるために努力できる人です。初期にブログでやっていた、ふぅかるた、ふぅ格言、すごくなかったですか。やると決めて、毎日毎日あれだけの金言を発して、ステージ上のパフォーマンスとは関係ない無料奉仕の部分であれだけのことをやろうと決め、実行できるパワーがめちゃめちゃにまぶしかった。でもまぶしすぎて、私はなかなか近づけなかった。
 卑しいのは私です。ステージ上で天真爛漫に愛嬌を振りまき、笑顔変顔爆レスでお客さんを魅了していく15歳前後の女性に「あざとい」とか思って敬遠している30代女性、ふつうに恥ずかしい。でもそれは"あざとさ"じゃないということがきちんと腹落ちできたのはここ1,2年くらいの話。アイドルとして人気を獲得する、成功するためにどうしたらいいか?っていう解を求めていくと、あの姿にたどり着くのは自然。顧客の要求のままに仕上げていけば、そりゃあそうなる。逆に言えば、15歳やそこらで、顧客要求の達成に邁進する姿勢を身に着けていたことは凄すぎる。。。
 ふぅちゃんがすっかり大人の女性になってから、初期のような無尽蔵のサービス、アイドル性の発揮に落ち着きが見えてきたのは、自我を横において正解を求め続ける姿勢から、自分らしさ・自分がやりたいアイドル像へのシフトをした結果なのかなあと勝手に思っています。違うかもしれないけど。でも、彼女らしい天然性が出てきたり、アイドル的な作られた笑顔が抜けてたまに真顔になるのとか、そして聖母的な内発的な微笑みをくれるのとか。他人が作った正解をなぞらなくても、ふぅちゃんなりのやりかたで全然ヒット打てるっていう。インスタライブで、ファンの人にしか話せないことがある、とか言ってアニメオタク的な話をするところとか。アイドルすぎる。いや、やっぱりあざといって言いたい!!!笑 嫉妬するよ女子として!!くそう!!!
 でもそういうふうに、人から求められてきたことも実行できたし、人から求められなくても自分の行く道を決められるわけだから、ふぅちゃんの前途明るすぎるなと思います。芸能活動をまたやるにしても、大学出て就職するにしても、個人事業やるにしても、うまく行かない想像ができないもん…。よいおとなになること間違いなし。ただ、悪い男に捕まっちゃダメだよ!おねいさんとの約束だ!!!

 やまさん。やまさんは本当に天才なんだと思ってます。この1年で覚醒しすぎました。私目線のやまさんって、ほんとうに、ただ生きてるだけ、っていうふうに見えてたんですよね。それぞれのときのムードで。やるときはやるし、やらないときはやらないし、気まぐれって言うよりも、おなかすいてるときは食べるしすいてないときは食べない、くらいの自然な波のなかで。でもここのところ、やまさんって、こうしたらお客さん喜んでくれるかなあっておもっていろいろ試す、みたいなムードに入ったのかなって思うことがあって。でもそれも、お客さんを喜ばせるのがアイドルとして正解だからじゃなくて、ふつうに、人を喜ばせたいなあ、だから喜ばす!!みたいなロジックなんだろうなって思って見てた。なんか、急に人に優しくなったっていうのかなあ…うまく言語化できないんですけど、重めの石みたいに「私はこんなかんじです」っていう飛び出しも突き抜けもしない枠(もちろんその中に居ても十分可愛かった)を突然破って、お客さんとのコミュニケーションというか、やりとりを楽しみ始めたと言うか。そして、きっとずっと前からあたりまえに周囲の人に与えてきた優しさが、オタクまで届くようになった、みたいな。や、知らんけど。
 だから、歌のここが良くなったとか、ダンスのここが良くなったとか、具体的に指摘できないんだけど、ただすべてのステータスが、ベターなほうに、ベターなほうに流れてゆき、全能力値で見てみたら最強になっちゃってた、みたいな。
 あんまりこんな事言うべきではないのかもしれないけど、やまさんは、もしお嫌じゃないようであれば、ぜひ芸能活動続けてほしいなあ…って思うんですよね。ほんとうに、お嫌じゃなければ、なんですけど。天才的な言語感覚と画力を惜しみなく披露し、ほぼ毎日更新を完走したブログとかも、才能あふれすぎじゃないですか。表現活動を続けるべきだと思うんだよなあ…。まあ絶対やらないと思うんですけど、アコギで弾き語り活動とか始めて、シンガーソングライターとかになっちゃったら、死ぬまで全力で推します。表現者としてのポテンシャルの高さにめちゃめちゃ嫉妬する!!!

 てらさん。てらさんは、色んな感情を持ちながら、自分の芯を保ち、通すことを信条としながらも、アイドルとしてしっかり立ち回ることへの責任感との折り合いに悩んできた人なのかなと、今になって思います。でもてらさんは何も言わないから、私たちも変に邪推しないのが正しいと思う。
 私はれいちゃんが卒業して以後、一番気持ちを寄せてたのがてらさんでした。それは、2017年のれいちゃん生誕のときに、緑のペンラを振っていたオタクに「今日はれいの生誕なんだから!」と注意した出来事に端を発していて、しかも、その後その感動を伝えにチェキ撮りに行ったら「(れい推しなのに)なんで私のところに来たの?」って私に訊いたんです。素直〜〜〜!!って言ってしまえばそれまでなんだけど、私のような現場にいたりいなかったりのオタク(ていうか2017年4月以前は日本に居なかったので、居なかったオタクのはずだ私は)がきちんと見えている視野の広さが、めちゃめちゃ大人だなと思ったし、それでいてメンバー同士でキャピっているときとかはめちゃめちゃ幼く見えていたので、そのギャップが良かったな、て。でも、私もちょっと共感できる所あるんですけど、女性に多いのかなあ、身体の成長と、ONの精神の成長と、OFFの精神の成長の具合がミスマッチしていく感覚というか。私も、似たようなところがあって、でも自分はそれが必ずしも心地よいわけではなかった。自分自身で、どれが本当の自分なのか見失っていくというか。てらさんがそうだとはまったく言わないんですけど、私はてらさんの姿に、自分のそういう歴史を重ねて勝手に共感していたんだと思う。危険な推し方だ。
 でも、だからこそ、てらさんを推しててなにより一番嬉しかった出来事が20歳になった日の深夜に行われたてらママとの宅飲み配信でした。てらさんにとって20歳になることってただの通過点かもしれないけど、ママにとっては本当に特別な夜だったと思うので。そういう姿は家族だけのものとするのが普通の感覚かな?と思ったりもするんだけど、それをファンと分け合う時間にしてくれたことが、ちょっと信じられないくらい嬉しかった。ファンと、ちゃんと双方向の信頼関係をもっていたんだなあ、って。あの夜、ワインオープナーの使い方がてらさんもてらママもわかんなくて、オタクからコメントで教えてもらっているなかで、たくさんコメント拾ってくれたこともめちゃめちゃうれしかったな。
 オサカナ最後のZOOM特典会は時間の都合でてらさんの枠しか買えなかったんだけど、そこで話したときもちょっと素っ気なくて、敬語で話されちゃったりして、心の距離〜〜〜!!!てなったけど、1年前に私が照井推しであることを私から一言も言ってないのに「それは知ってる」って言われたことについて訊ねたら、「え〜〜〜?れいが言ってたのかなあ、みんな知ってると思うよ、有名だと思う」って八重歯全開で笑いながら言われて、「おいーーーーマライカーーーーー!!!」てなったのは秘密だ。

 びー。めちとりとめのない、身の上話になってしまった。それを4600文字も読ませてしまってごめんなさい。ぐぬぬ

天才プロデューサーに何かを言え!

 昨日のライブの思い出は、淡雪のように消えて、びーびー泣いたことも、高まったことも、全部月を隠す雲の中。あ、唯一覚えていることは、終演後トイレに行ったらマスクに鼻水の跡がついてて死んだ。はーーずかしーーーね。
 私は、オサカナが始まる前は照井さんがこんなに中2だって知らなかったんですよ。曲がバカかっこいい、MCで下ネタ言いがち、とはいえ真面目。それくらいの情報量だったんです。それがオサカナ始まってから、ぜんぜん違うPのパーソナリティに触れた。てるりんが言ったことではなく私の想像の話だけど、"alight ep"なるノンタイアップミニアルバムでメジャーデビューしたこととか、ニューストのカップリングに発見入れちゃうこととか、全曲新曲ノンタイアップのアルバム出しちゃうこととか、ささやかのカップリングにBYOG入れちゃうこととか(そのBYOGをラストライブでとんでもないアレンジにしたこととか)、flashに精神分裂しましたか?みたいな表情違いすぎる3曲入れたこととか、deepblueにこのテンションの新曲入れたこととか、持ち曲全曲バンドセットで演奏しないと解散できないこととか、でもガールズをスモークの中で奈落に落としちゃうこととか、全部私の中で「中2じゃん」で、串ぶっ刺さるんですよね。筋通り過ぎてます。私の中の中2像を完璧に体現している。私が憧れ続けているフレッシュでカッティングエッジな中2像を次々に体現していく姿に、アホほど憧れるんですよ。でももうなれないじゃないですか、中2。私、それなりの三流大企業勤務だしさ、ちょっとした地位にもあるしさ。いいものですよな、曲がバカかっこよくて、MCで下ネタ言いがちで、とはいえ真面目で、中2。ほんと、いいとおもう。
 昨日、ライブが終わったあと、オタク軍団とのアフターにちょっと誘われたのを断って、役割のまだ巡ってこない国立競技場を左に折れて、ビクタースタジオに一礼をして、ホープ軒でラーメン食べてたんですよ、ひとりで。中2ですのでね、単独行動とりがちですわ。私は、いつの間にか迷い込んだオサカナ美術館に幽閉されていたんだ、そしていまそのガラスの城が煙になって消えて、裸のまま紫外線の強いお外にほっぽりだされてしまったんだな、なんて思った。だけど自明のこととして、作られた音楽は消えないし、これからも照井音楽はどんどん生まれるんですよ、間違いなく。でも、安心安全に中2に戻っていられたガラスの城はもうない。私の中2的カタルシスはどこに行けば再体験できますか。ていうか、30代女性を中2に引き戻し、何年も中2のままピン留めし続けた罪って結構大きいと思いますが???

 そんな冗談はさておき、私にとってしたら、オサカナの打ち立てた金字塔って照井順政のシンデレラストーリーでもあるんですよ。ちょっと音楽聞いてる人だったら、ハイスイノナサって誰でも知ってたと思うけど、そうでもない人は誰も知らなかった。それが商業の世界で発見されて、あれだけの事業規模のプロダクトやパフォーマンスを打てるようになったんだから。軽薄な言葉で言えば「売れた」ですよね。
 でもそれが、字面通りの大歓迎な出来事ではないのかな?と、薄々勝手に感じ取っていたりもします。
 てらさんもラストライブで話していた、付き合うべき善い大人のはなしもある。
 でも、じゃあてるりんがこれからどんな大人と付き合いたいのか、崇高な理想の行き先はどこなのかなんて、知らないし。

 やりたいことが明確にある人に、こうなってほしいとか、一介のファンが願望を語るのは(さっきやまさんには言っちゃったけど)まあ違うなと思うので、私は多分これからも照井さんファンですし、飽きるイメージもあまりないですけど、いつか違うなと思ったら去るんだろうし、次の活動がもっとカタルシスみに溢れていたらさらに没入するかもしれないし、私みたいなヤバヲタ振り切って捨てていきたければお高く止まってるChillyなLow-fi Hip HopとかElectronic Houseとかやられたらいいんじゃないかなと思いますけど…

 何の話だっけ。
 いや、オサカナの幕切れは、本当に100点満点で、私が理想に思い描く蒼き時代の幕切れと消失という感じで本当に素晴らしかったです。
 演者の3人がこれからも元気に楽しく暮らしていくことにはなんの疑いもないので、私はただ、オサカナという6年続いたぶあつい本を閉じるだけです。よき物語でした。
 残された音楽が二度と演奏されないことはとても残念だけど、よくあるバンドの解散による置いてけぼりみたいな気持ちに一切なっていないんです。こういう幕切れなんだから、二度と演奏されないとしてもしょうがないな、って思えちゃっているというか。

 まあなので、いろんなところで言ってるんですけど、次のステージへ、ですね。
 もう会えなくても、知れなくても、全然楽しみだし、応援してるんです。そういうものかなって思う。人が出会って、道を重ねて、分かつことってさ。