sora tob sakana解散に寄せて part1

 コロナ禍に見舞われてから、多少生活の変化でも記録しようと思って書いていたブログもすっかり止まっていました。
 怒涛の某大学院M1の前半期がようやく上げじまいとなり、フルオンラインのクラスになったから通勤通学をなくせたぶんある程度時間の余裕を持てるかと思っていたら全くそんなことはなく、昼夜半逆転のきりきり舞い。もともとレポートなどのクリエイティブかもしれないワークは夜にやるほうが質が高まるのと、そもそも昼は働いてて夜は授業で、深夜しか時間がないという生活だったので、7月は「最近掃除機をかけたのは何日前だ。。。」等の時間の歪みに悩まされました。でもまーなんとかなったからおk。
 そんななか、5月22日に我らがsora tob sakanaの解散が発表されました。
 それから我々オタクは、ジェットコースターに乗ったかのような日々を過ごしており、気持ちは上下左右に揺さぶられ、コロナがなければオタクどうしで集まって飲んで泣いてっていう儀式もできたかもしれないのに、そういったありふれた悲しみを咀嚼することさえ許されなかったわけです(いや、私が引きこもっているだけで、多くの人はやっているだろうが。知らんけど)。まあ少なくとも、自分はそうなんです。
 増えるオンラインイベント、足りない時間、解散へのカウントダウン、増える物販負担、ぐるぐるぐる。急激な変化に心身が追いつかず、上手に悲しみと対話できなかった気がします。私のシチュエーションって、(進学)×(オサカナ解散)×(コロナ+在宅勤務化+人事異動)、みたいな感じで。今も若干何が起きてるのかわかってないまま日々を過ごしている気がします。
 まあ、それはそれとして。
 オサカナ解散によせて、今このタイミングで書くのは高額のライブチケット予約と高額のBD発売クラファンという大砲に打たれたからではなく、私の前半期が昨日終わったからです。おさかな本(オサカナファンで作ってた同人誌)を終わらせないといけないし、文書くならそっちに載せたほうがいいから、ブログ書くタイミングじゃないかな?と思ったんだけど、考えれば考えるほど、いまこれは書いておかないと先に進めなくなると思うから、今日は今日の気持ちを書きます。
 先に申し上げたいのは、私はどこまでもビジネスおばさんなので、アイドル(音楽)と経営・ビジネスをロジックで完全に分離しつつも、ビジネスを忘れてアイドル(音楽)を語ることはできないということです。というか、ビジネスを上手に動かせなかったがゆえにいろんな才能が業界から退場してきた歴史がどうしてもある。主にバンド界隈のことを言ってるけど。私はオサカナは大きな意味ではビジネス的に負けていないと思っていて、もっと稼いでグループの成長に投資できると思っていた。そういう気持ちがどうしてもあるので、かなりtwitterでオサカナのビジネス面についての疑問をグチグチ語ってしまったんだけど、それがステージに上がる側、直接的につくる側の目に触れた時どういう感想になるかというところに想像が至ってなかった点をとても反省していて、ご不快に思われた方に心よりお詫び申し上げます。繰り返しになりますが、事務所から言質取ったわけでもないし知らんけど、オサカナの解散はビジネス上の問題ではないだろうと私は考えてます。いや、ほんとに、知らんけど。

わたしは、ステージにあがる人に寄り添うファンでいたい

 解散メッセージを読んだとき、私は少し荷が降りたような気持ちになった。ここで多くは語らないけど、やっぱり、若い女性が男性に幸せを運ぶ仕事とか、若い女性が稼いだお金で会社の人が食っていくビジネスモデルとかが、自分の倫理観と照らしてどうだっていうのはずっとあったので。メンバーが、その仕事に誇りと喜びを感じ、ずっとやりたいならばそれは必ずやり続けるべきこと。でも、そうではないと思ったときに、立ち止まれる人がどれほどいるか。ファンのため、会社のために、それでも続けようって流される人が多いんじゃないかな。そういう意味で、いや、決断に際し彼女らの意思以外の様々な要素があったことは推し量れるけれども、それはそれとして、立ち止まりたいなとよぎったときに立ち止まれることが、彼女らが私にみせてくれた最高のかっこよさの一つであることに、疑いはまったくない。みんなそうでしょ、会社辞めたくて辞めれなかったことあるでしょ、私はある。
 一度きりの人生を後悔なく生きるために、「やめること」をしっかり定めて実行できるっていうのは、最高の行動力だと思う。
 だから私は、解散ショックだったけど、やっぱりオサカナ最高だなって思ったんだ。

 そして、ものすごい金額のラストライブのチケットと、その収録BDのクラファンを前に、私はビジネスの無力を思った。そりゃあ、必要な経費と入れられるお客さんの数から逆算してこの金額になりました、仕方ないよね、来れる人は来てね。そうなるのは仕方ない。でも、それを、そうならないようにするのがビジネスサイドの仕事であり、顧客を幸せにする義務をステージに立たない側から実現するための重要な要素だ。私は、オサカナ好きだったけどいろんな事情や判断によってライブに行かない決断をした人たちのことを思った。経済的には、それは、価格とライブが醸す期待価値が合致していないということだ。でもそれは、彼女らのステージに価値がないということを直接的には意味しない。そりゃそうだ。多くの音楽ファンは、オサカナと違うアイドルや音楽家を同じテーブルに拡げて、自分のお金と時間をどこに使うかを比較検討しているんだから。ガチオタを除くふつうのまっとうなファンは、自分とオサカナの関係性を強固な一対一でみたりしないよ。でもその人達が、取りこぼされて良いファンだったかと言えばそうではないと思う。もちろん、この問題が起きたのは第一義的にはコロナのせいなので会社の問題ではない。だけど、事実としてそういう撤退があったこと、その人達が経験した複雑な気持ちに思いを馳せても良いはず、とは思う。

 私はビジネスおばさんだから、すぐそういう気持ちになっちゃうけど、邪念を払えば、私には本来、ステージにあがる人たちへの愛しかない。それ以外のものをすべてノイズだと思って物事を見ようと思った。
 ビジネス上のわけわかんない状況に巻き込まれているのは、他でもなく彼女らである。どういう経緯で決まったことかわからないけど、体を酷使して4時間ライブをするのも彼女らである。それを演奏するのはバンドメンバーである。もう何年も一緒にやっているとはいえ、日常的に演奏してきたわけではない楽曲を、そしてまだ演奏したことない楽曲を、4時間も演奏し続けるのはどんなに大変なことか。そして、ステージを全うするための健康管理のために、どれだけいろいろ我慢しなければならないか。こんなはちゃめちゃなステージを、それでもやろうって決められたのは、ファン思ってのために違いない。上手くできるかわかんなくて、プレッシャーも凄いと思う。とてつもない金額を払ってもらって、それに見合うものを見せなきゃいけないというプレッシャーは、とても想像できるものではない。
 そういう、すごい才覚と努力の下に生きているみなさんのために、私ができることってなんなんだ?
 それはもう、ビジネスおばさんの脊髄に走る清濁をすべて押し込めて、自分の愛情を真摯に真摯に、諭吉に託すしかない。

 お金にまつわるあれこれは倫理だ。そして、私が愛情をぶらさないこともまた倫理である。

 なーんてな。

ここまででメンバー個人への言及なし

 えっとそこは、おさかな本に譲ろうと思います。。。できるかな。できるよね。がんばれわたし。

 私は、事象に対する疑問とか怒りの感情は、かならずそれの改善につながり、正の効果に変えていけるという信念を持っているので、どうしてもそれを口にしてしまうんだけど、そんなこと聞きたくない、嫌だって考える人が多くいることもわかっていて、でも敢えて言ってきたってのが実態。
 でも、今こういう状況下で、あまりにも仕方のないことが折り重なりすぎて、私みたいな比較的安全地帯側(つまり、諸々にお金を払うだけの経済的余裕はある人)の人間が不用意なことを言うのはよくないと思い、今日は今日の気持ちをここに書き、これからは飲み込むことにしました。

 私は好きな音楽家にずっとずっと音楽していてほしいんです。どういう形であれサステナブルであってほしい。
 だけど、前向きに去っていく彼女たちが、あまりにもかっこよくてまぶしすぎて、今まで見送ってきたたくさんのバンドの解散、謎の活動休止とくらべたら、とんでもなく清々しい気持ちで残された時間とライブの時間を過ごすことになるんだなって嬉しいんです。
 人を幸せにするために活動しているという、アイドルの本分を、sora tob sakanaがバチクソに実現していることに疑いの余地はありません。
 願わくば、一人も取り残されませんように。Leave no fans behind。信じてもらえなくても、私は私のやり方で、精一杯、愛を全うします。