芸術と人柄

ヨーロッパに住んでいたおかげで、日本にトータル32年住んだよりも何倍もの数のアートを、在欧1年半で見たとおもう。

美術の教科書に出てくるあらゆる有名な画家の絵。習作からガチのやつまで。北斎も日本よりもヨーロッパのほうが実物を目にする機会は多い(北斎は版画なので欧州全域の美術館に流通、収蔵されており、日本美術ってーと第一選択で展示されていると思う)。

 

それらを見ることはとても楽しく、ためになり、自分の気持ちを豊かにしてくれたんだけど、一方で、自分は存命人物の芸術に触れることのほうが好きなんだなあということを確かめた日々でもあった。

日本に住んでいた(いる)ときは、若手の小規模な個展とか、日展みたいな全国から集った佳作の一大展示とか、そういうのを好んでいたからね。

 

その理由が、胸の奥では分かっていたんだけど、頭のなかで言語化されてきたのでメモ。

 

人柄を見る、聞く

1月12日は、神楽坂の神楽音(Kagurane)という昨年オープンしたちいさなライブハウスにてトークライブイベントの「ホシトーーク」第二回、「照井兄弟大好き人間」を観覧。バンド・ハイスイノナサの幹である、照井順政氏(弟、または、爪。Gt.)とその兄のアニこと照井淳政氏(Ba.、レコーディングエンジニア)を狂愛する人とご本人たちの会合である。

ここでレポしてもしょうがないと思うので結論を言うと、自分の中で勝手に温めていた、音源やライブに触れて脳内で妄想が具現化されていた照井兄弟と、ステージの上でわちゃわちゃ喋っている照井兄弟が気持ちよく一致して、「私は音楽で人柄を聴いていたんだ」ということを完全に言語化した上で確認し、とても気持ち良い疲労感で家路についた。

 


ハイスイノナサ「変身」トレーラー映像

 

翌、13日は、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻4年の卒展前の展覧会「BE MY BABY」( https://geidai-oil4.tumblr.com/ )に行った。

この集団とは、知人経由でちょっとした絡みがあって、何度か展示を見に行ったり、クラウドファンディングで支援させていただいたりしてて、親しく感じていたのだ。

油画なんだけど展示は割と自由で、全員”自画像”を出展していたものの、ほとんど人間出てない絵とか、写真とかもあったし、メインの展示も立体モノや映像上映をしている方も多かった。

美術ってコンセプトと力量のせめぎあいという感があって、この時代、技法はいくらでも勉強可能で、歴史上の巨匠のやり口を真似ても陳腐化するだけ。じゃあどうやって個性出すんだろうって、結構コンセプトで変化球投げている人が多かった気がする。この人、頭イッてんだろうなって作品があったり、逆に表現の力量はさておき頭脳明晰な作者の伝えたいメッセージがドンと入ってくる作品もあり。内にこもっている人もいれば、他者とのコミュニケーションの結果が作品になっているものもあり。

作品群を通して推し量る、大学4年生という微妙な若者の揺れ動く機微。

作品がピンとこなくても美しいし、コンセプトと力量の波長が完全一致して増幅するときは、まさに足が波に取られたように動けなくなってじーっと作品を見ていた。

 

20世紀以前のヨーロッパの巨匠の悩みとか、生きてきた時代とか、その国の文化とかわかんないけど、芸大の4年生の子たちが生きてきた東京は何となく分かるから。(まぁそのうち1年半は私が東京に居てないんだけど)

わりとどの作品からも染み出している、若さゆえの悩みというよりは、今生きている国の空気感に対する息苦しさとか不安とか、不満とか。

そういうカルチャーを共有することによって、芸術は最高潮になるんだなーと。

 

 

 

音も美術作品も、物理的なそれじゃなくて、コミュニケーションだ

私はアーティストになれなかったんですよね。

まあ、なろうとしていたかどうかはさておき。

安定して暮らしていくために、99%の凡庸な人間になることを気づかぬ内に選択してたって気付いたときにはわりと愕然としたんだよね(あほかな)。

 

私は、楽器も弾けなければ、絵も描けなくて。特に後者は絶望的に駄目でね。

それなのに今、仕事で提案する立体物のコンセプト設計とかやってて、100円ショップで買った真っ白なノートに、シャープペンと水性ペンで一生懸命あれこれ書いて、3D描けるデザイナーに投げてウゴウゴする仕事とかしてる。

私が楽器も絵もできなかったのは、やろうとして練習してこなかっただけのことなんだよね。

もういい歳だけど、やりたいなら、これからやるんでも人生まだ遅くはないのかな〜なんて思ったし。かつてそういう芸事は自分の内なるものと向かい合うためのひとつのアウトプット手段なんて思ってたとこあったけど、本来はコミュニケーション・ツールであるんだなあ、って。

まあ、本職の人はそれでお金稼ぐんだからコミュニケーション・ツールに決まってるんだけど。

 

私の身体がなにがしかのアウトプットで拡張されていけるのだとしたらそれは言葉で。

10代から20代の終わりまで、若さに任せて死ぬほど書いたテキストのこととか思い出して、まぁあれもコミュニケーションではなくて内との対話だったんだろうけど(冗談じゃなく、産廃の類です。うふふ)。

自分の体が、宝石の国の主人公のフォスフォフィライトみたいにぐわーって拡張され、できなかった表現ができ、他人と思わぬ絡み方をし、通信する。

自分にとってそれが凄く楽しくて幸せだった時間のことを思い出したから、突然書きたくなった。

 

なので、書きました。以上。