悩みが見えてくる - 情熱 × 行動力

 20年近く前のインターネット黎明期ってテキストサイトに何書いても自由だったんですよね。役に立たない便所の落書きが多かった。若さにかまけて自分語り。

 インターネットに広告が現れて、アフィリエイトが現れて、文章を書くことが金銭的価値を産むようになって、金銭的価値のない文章って淘汰されましたよね。簡単に検索やリンクでたどり着けないくらいのアングラに引っ込んでしまっただけなのかもしれないけど。でも普段、金銭的価値がありそうな文章ばっかりネットで読んでいると、自分が今度便所の落書きを書きづらくなってくるんですよ。

 だからブログに手が伸びなくて、twitterinstagramの簡潔さが求められる世界でウゴウゴやらざるを得なくなってるんだなってなんとなく思って。

 

 でもそう言う”べき論”って自分が自分を鎖にはめてるだけだから、勝手に書いたらいいよね。

 


 

 私いい年なんですけど(#bbaタグが似合うお年頃)、年をとるほどに自分が見えるようになってきて、ああ女子高生のころとか、大学生の頃とか、院生で研究うまくやれなかった頃とか、五里霧中だったんだなあ、暗中模索だったんだなあ、いまJKになればもっとうまく人生運用できるだろうなあ、とか、誰でも思うようなことを最近とみによく思うんですね。

 当時何を勉強すべきだったか、あの恋愛は真面目にやるべきだったとか、さっさと捨てるべきだったとか、就活はああやればよかった、仕事はこう進めればよかった、27歳位で海外に出ておいたほうが良かったとか、まあ色々と。

 特に海外に出るタイミングについては、32歳で外に出てみて、なるほどサラリーマンを続けていくぶんにはこれからもまた海外進出のタイミングは作れるだろうとは思いつつも、たとえば海外で大学(院)に入り直すとか、MBA取りたいとか、そういうことが中々叶えにくい年齢になっていることに気付いた。強い意志があれば全然32歳からでもできると思います、むしろ就業経験が熟してきてるから良いタイミングとも言えるかもしれない。けど、独身で32歳で(今はもっと行ってる)、学生…?結婚は?出産は?いろんなことを逆算していくと怖くなって尻込みをしてしまう。飛び出せるかは意志次第。

 

行動力 

 32歳のときに海外に行くと決めて、サラリーマンらしく社内で手続きを踏んで堀を埋めて埋めて、進出の足場を整えたとき、自分にここまで行動力があるってことにかなり驚いた。

 

 人間の能力っていろいろなパラメーターがある。わかりやすいのは、勉強と運動。小学生の頃からその2つは別個の能力として測られていたよね。私は運動が人間未満の出来で6歳くらいで既にやる気を失っていたので勉強だけ頑張ってた。

 勉強はそれなりに得意だけど、ずっと1位にはなれないような位置でフゴフゴしていた。第一志望の大学もたぶん受かんないな〜と思ってギリギリの綱渡りを渡ろうとしたらやっぱり落ちた。別の私大に通ってる間も勉強は落ちこぼれないようにギリギリのところをなんとか帳尻合わせて、入りたい研究室に入ったり、成績優秀者がもらえる奨学金もギリギリで貰ったりしてた。

 私は無難には成功したいなと思ってた。別に超有名な経営者とか、大金持ちとか、そういうものには興味はなかったけど、お金には困らなくて、将来子どもが生まれたら良い教育を受けさせてあげられる…とか、そういうものにはなりたいなと思っていた。

 で、そのためにはたぶん学校の勉強とか無難にできておいたほうがいいんだろうなとか、無難な会社に入っておいたらいいんだろうなとか、極めて適当な目算によってダラダラ生きてきたところがあって、いつの頃からか、勉強ができたはずの自分だったのにめっちゃ行き詰まってた。一応優秀だったはずなのに半端な凡人になっていた。

 

 そして、「無難な成功」でさえ指の間からするりと落ちて消えていく危機感とかもあって、今に至る。

 

 爆発的に成功している人、日本で目立つところと言ったら孫正義さん、ファーストリテイリングの柳井さん、堀江貴文さん、似鳥さんとか…昔は地頭が良いから成功したんだと思ってたけど(そういう要素もあるだろう)、よくよく本や記事を読んで人となりを触れるに、どちらかというと向こう見ずにガッと行動することで、10000個の失敗と10個の誰でもできる成功の上に、1つの爆発的成功をおさめているのだなあと理解できるようになった。とにかくバンバン行動する。バンバン失敗もする。成功するまでやめなければ最終的には必ず成功するんですよね。1勝10000敗でも勝つまでやめなければ全敗で終わることはない。

 

 行動力ってどこからくるんだろう。

 生来ほんとうに、自然になんでも行動に移せる人っていますよね。飛び込んじゃうし飛び出しちゃう。本当に尊敬します。

 

 優秀や、成功は、行動のあとに続いてくる結果なのだと気づいたのは#bbaになってからです(おっそい)

 地頭が良ければ、バットで上手に球を打って点を取れると思ってた。それは多分そうなんだろうけど、地頭が良くても野球場で試合に出られるわけじゃない。俺は、布団の上でごろごろしているのだから。起き上がって着替えて家を出て、野球場に行って、チームに入れてもらって、試合に出してもらって、バッターボックスに入るという、都合7、8プロセスを経ないと、バッドで球を打って点は取れないのだ。め、めんどくせえ。

 地頭が良くておしまいの人は、バットを球に上手に当てることばかりに集中して、並行してチームに入ることをしてない、というわけです。

 

 じゃあチーム入りましょう。起きましょう、服着替えましょう、出かけましょう、チーム入りましょう。行動しましょうイェイェイ!

 『ヤダ!めんどくさい!!!』

 

 という話なんです。行動しない側には行動しない理由があるんじゃよ!ほっとけ!

 

情熱と行動力

 最近、若くしてアントレプレナーシップを発揮して成功している人の話を聞く機会が何度かあったんです。

 孫正義さんの若い頃+髪、みたいな感じのすごい人ばかりだった。バンバン行動してバンバン失敗して小さい成功をコツコツ積み上げて今の地位にある人たち。バンバン行動のエネルギーに圧倒される。

 

 私はそういう人のエピソードを聞くたびにわりと苦しさを感じるタイプだったと思う。”嫌な日本人”のステレオタイプかも。ひがんでるわけじゃないんだけど、気持ちよく感動して「すごーい!」て思えてなかった。

 その理由が最近ようやく分かるようになってきたんですね。私はたとえば32歳で海外に出た!みたいなビッグチャンスを行けるなと思ってコツコツ実現させることはできてたけど、99回コケる前提で100回行動する!というのができなかった。失敗が怖いんじゃない。100回も行動するような”ネタ”がないんですね。やりたことがない。あーこれもいけ好かない日本人のステレオタイプだね。

 

 そんなバンバン動くほどバンバンバンバン来ないやろ…と思ってたんだけど、その成功者の人が「これ面白いでしょ!面白いでしょ!」とバンバン見せてくる事例を眺めていて思ったのは、「あ、私、物事を面白いと思う感覚がめちゃめちゃ鈍いな。感動の沸点が高すぎるんだな」ということ。面白いなというのは分かるんだけど、すげー!と思ってのたうち回って「仲間に入れてください!!!!」っていう行動を起こしちゃう、第二次宇宙速度は簡単には出ない。

 

 情熱がないんだ。

 

 歳を重ねて人から「クール」と呼ばれることが多くなったけど、たぶん本当に読んで字のごとくクールだったんだろう。燃えてない。

 自分で面白いことを作り出して自分で燃えることもできず。人のやってる面白いことに飛び込んで引火されて燃えることもできず。

 行動力がないの前提に、情熱がなくて燃えていない自分を見つけて、突然、冷たい液体の金属のなかを空気もないまま漂っているような、寂しい孤独な気分になった。

 

 この話はここで終わりです。

 

 う つ ん さんは、どうやら情熱を持てば行動力が伴って起爆力を持って飛んでいけるようだ、という法則を発見したものの(遅い)、自分の情熱のなさについてはまだなんのTipsも見つけていない。

 

 成功者の一人との会話の中で、どうやったら情熱を燃やせるのか?と訊いたところ、訓練だ、と。勝手に燃えられないなら、面白いことしている人におっかなびっくり近づいて燃やしてもらうんでもよいから、と。人から暖めてもらっているうちに燃え方が分かるようになるから、と。

 

 なるほど、it makes sense... などと思いながら、冷たく寂しい気分の中で、次何をどうしていったら楽しく燃えて行動できて、そして「無難な成功」をできるかな?と、考えているだけの週末です。