英語というツールの先に(1) - 海外生活blog

これから私は英語の話をしますが、私はドイツに住んでいます。

 

起承転結のないだらだらコンテンツ
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  3. これから

 

2-1. 英語というツールの先にあったもの(1)

そもそもなにができると英語ができる感を感じられるのか

高校・大学受験と学校においては英語は得意という意識で生きてきて、TOEICも860点まで行ったけど外国人とのコミュニケーションが全く取れなくて絶望した、というのが3年前・2013年の自分でした。

本稿の読者ターゲットをどこに設定するかによって、この物語がTOEIC860点時点から始まることの是非が決まるわけですが、つまり英語学習者で現時点で600点で800点を目指す人からしたら本稿はまるっきし無駄、というふうに見えるかもしれませんが、私からするとTOEICで高得点を取ることと、外国人と英語でコミュニケーションをとることは、まったく違う種類のゴールであるということをまず念を押しておきたい。

 

で、TOEICが現状就活や昇進の一種の条件になっていることは仕事で英語を普通に使っているこっちがわの人間からすると極めて残念な状況で、つまり自分がそうだったように、TOEICスコアが高いことは必ずしも外国人と英語でコミュニケーションとれることを指さないわけです。

むしろ、TOEIC860点というのは、満点の990点と比較して130点も欠けているわけで、「てめーは130点分英語力が不足している」ということを示していることにほかならず。私はTOEICは減点法だと思ってます。

就職や昇進のためにTOEICを頑張らざるをえない現状を非常に残念に思いますが、それをやらんと日本の会社文化になじめないというのも事実。だから否定しませんけど、もし読者の目的が外国人と英語でコミュニケーションすることであるならば、TOEICの勉強は(たぶん)無駄です。文法が概ねさらえてれば取れると思われる700点くらいまたは英検2級あたりで資格試験はやめて、本質的な英語活用の方法を模索していくべきだと思います。

 

私が個人的に考え、経過してきた【これができると英語できると感じられるライン】難易度順。※私の個人的な考えの一般性は保証しません

  1. 英語でメールのやり取りが出来る;メール→読み書きに書けられる時間がほぼ無限

  2. 英語で簡単な会話ができる(買い物、挨拶など)

  3. ニュースサイト程度の短い文章が読める(辞書ありでも)

  4. 日本企業で求められるビジネス英会話ができる

  5. ノンネイティブと世間話

  6. 英語のテレビが字幕付きで理解できる

  7. ニュースサイト(短文)、本(長文)が辞書なしで読める

  8. ネイティブと世間話

7と8は入れ替わるかもしれないけど、まぁこんな感じと私は考えていて、自分はいま4はOKで5と6のあたりで格闘している感じです。

TOEICで860点を取った時、自分は28歳くらいで初の海外ビジネス(対アジア)から降りたころで、日々英語でのメールが大量にダラーっと流れてくるものの自分で発信しようとすると1メール1時間とかざらにかかるような状況で、英語の会議はほぼついていけなかったので上記スコアに当てはめれば自分は"2"でした。

"3"はどうなんだというと、これ根性の話なんですね。数百ワードの短文、大意は取れるかもしれないけど必ずわからない言葉が出てくる。敢えてその情報を英語で取りに行く必要があるか?ということ。自分を追い込まないとできないことです。海外のニュースサイトも多くが日本語版を持ってますし、Gigazineのように海外でバズっているギークニュースを日本語訳して紹介するサービスもある。

そしてTOEICの点数との整合性について補足しておくと、おそらく700点くらいあれば人によっては"5"まで行けるんじゃないかというのが私の見解です。実際取引先の外資企業・日本事務所の人で、上司がアメリカ人で、TOEICは700点強…という人がかつていたので

 

 ー つまり、ある程度の文法、ある程度の語彙があればペラペラ喋れる人は喋れる。要はどこまで完成度を求めるかという話、または、「完成度が高くないとうまくしゃべれない」という精神障壁を取り払ってベラベラ喋り始めるか、という話です。

で、私は後述しますがいろいろ理由があって、うまくしゃべり出せない。テレビを字幕付きで見ていても、知らない言葉がでてくると「んっ」となってバリアを感じ、思考が止まって没入できない、楽しめないことがある。

 

この精神障壁の取払い方は、むしろ私が聞きたいくらいなわけですが、とにかく以上のような理由で英語の海のアドベンチャーで戦える系の人はTOEICはそこそこで卒業して、さくさくと実戦をこなす場に移行されたほうがいいんじゃないかというのが私の意見です。

 

実戦の世界で何が見えてくるか

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イギリスの有名チープカフェチェーンCOSTAのカプチーノ
私はここの店員と上にココアパウダーをかけるかどうかの質疑応答に9割がた失敗しますが元気に生きています。

 

あえて実践ではなくて実戦と書いてみていますが、ドイツという地で私が英語に対してやっていること(のうち、誰でも日本でも出来ること)は以下の様な感じ。

  • Twitterで英米系報道(新聞・テレビ)のアカウントをフォロー。何が話題か知る。
  • イギリスのBBC、Channel4の事後配信サービスを字幕付きで見る(方法:Google「BBCを見る方法」
  • Harvard Business Reviewを読む(ひまなとき)
  • TEDを見る(すごくひまなとき)

驚くのは、これだけでも十分に”日本にずっと引きこもってたら人間の営みの1%も知れなかったんだ…こわ!"と頭を抱えられるということです。

たとえばいまイギリスでは、ロンドン市長にはじめてムスリムが選ばれたことが話題になっていますが、人種・宗教・性別のダイバーシティの問題は極めて大きな関心を持って市民から注目されていて、「移民受け入れによって経済発展を下支えするつもりはない」とトップが明言している国とはそもそものベースが違っています。日本において、中東出身の見た目をしているイスラム教徒が東京都知事になる日なぞ永遠に来ないような気がしますが、ロンドンではそれが現実です。市民が、積極的に、彼を選んでいるという。

 

そして私自身は、誰でも出来るわけじゃないかもしれない方法として、次のような経験をしました。

  • ロンドンで3ヶ月語学学校に通う

この経験は、自分が想像していた以上にカルチャーショックというか、価値観の転換でした。世界中の様々な国出身の非・英語圏クラスメイトに囲まれ、イギリス人またはアイルランド人の先生が目の前にいて、日本の義務教育経験者にはおよそ想像もできない、座学とは180度違う能動的参加必須の議論・討論型のクラス。

"結婚してる?" - してない, "じゃあ彼氏は?" - いない, "じゃあCasual Relationshipは?" - は??

まったく悪びれもなくセフレが居るか聞いてくるクラスメイト。「そんなの居ないし、居ても言わないよ!」"なんでー?そこがなんて秘密なのかわけわからん"

クラスにおいて私は、政治信条、宗教観、どうして日本人の心に神が居ないのか、オーラルセックスは有りか無しか、なぜ日本人は寿命が長いのか、飯か、酒か、アメリカ人は遺伝子組み換え食品ばっかり喰ってるからいつか死ぬのか、等々について議論し、自分の貧しい英語力に日々打ちひしがれながら、欧米圏出身でそこそこ英語ができてるクラスメイトからの同情の視線に耐えながら、ああ恥ずかしい、もっともっと英語うまくなりたい、でも勉強だるいな…って思いながら、クラスメイトにこう言われるのです。

 

"どうして君が自分の英語に自信がないのかよくわからん。普通に喋ってるじゃん"

 

そうしてようやく気づくのは、私が冒頭で示した8段階のうち、2か3か4くらいまで行ってれば、「俺は英語話者だ」という屋号を掲げてもよいのだということ。

 

日本という、いまだに精神的言語的鎖国が続いている国にいて決してわからなかったことは自分の英語が世界で生きるに足りているか否か、ということだった。TOEICってとどのつまり何点だと◎なのかわからん!どれくらい世間話できれば世間的にOKなのかわからん!

目の前の相手の言っていることがわからない時、「ごめん、いまの話ききとれなかった、もう1回お願いします」といって相手がゆっくり言い直してくれて、それで自分が「ああなるほど」と思えて、何か返答ができれば、それで十分だったと。

 

そういうことを、実戦の世界にでてきて私は初めて学べた。

(英語ってぜんぜんできなくてもできるっていうことにしてOKな言語だと)

 

そしてそれを理解し、普通に多国籍人のコミュニティに囲まれてうごうごし始めた時、はじめて「自分はこれくらい英語ができるようになりたい」と自分の目標を設定できるのだと思います。

 

ドラクエでいうと、いままで素手だったところ、とりあえず「こんぼう」を装備してスライムには勝てるようになった(=外国人と英語で最低限のコミュニケーションが取れた)

これからどうやってもっと難しいことをこなすか? 1)強い武器に持ちかえる、2)自分のちからを増やす。2)とは、自分のスキルは脇においてとにかくべらべらに喋ってざっくり聴いて理解すること。そこが上手ければはっきりいって雑な語彙力でもどうにでもなる。

 

でも、普通のまじめちゃんだったら1)をどうにかしたいと思うでしょう。それが私がいま、格闘していることでもあるのです。