伊賀泰代「採用基準」〜日本人にはなぜリーダーシップがないのか会議

マッキンゼーに17年勤め、キャリアの長くを採用担当に費やしたという伊賀泰代さんの本を読みました。50周くらい周回遅れですが読書感想文を書きます。

 

採用基準
採用基準
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伊賀 泰代
ダイヤモンド社
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読者は「マッキンゼーの採用基準」を知ったあと、どう行動するんだ?!

編集者に是非問いたいのは、この本をしてなぜタイトルが「採用基準」なのか?ということ。わざと敢えて主張の中心を隠しているのだろうか。まぁ確かにマッキンゼーがどういう人材を欲しがっているのかはすごくよくわかるのだが、どうすればその人材像にマッチングするのか(むろん、イマドキ就活テクのようにテクニックとして自分を魅せる方法ではなく、どうトレーニングして自分を磨けば良いのかということ)は書いていない。だから、自分が本書にうたわれる人材と合っていないことが判明すると、「俺はマッキンゼーは無理だ。おそらくその他の外資系コンサルも無理だ。チャンチャン」という感じです。

本書を手にとった人には、自分がコンサル的なところで働くことをイメージする人が多いと思うので、読後、”本書に描かれた人材”と”自分”とのギャップをどう捉え、どう行動していくのか、大変興味があります。読んだ人でアフターパーティしてみたいもんです。

 

本書にはずっと「日本人にはリーダーシップが不足している」と書いてある

では本書にうたわれている人材が如何様かというと「リーダーシップが取れる(またはそのポテンシャルがある)」人だと書いてあります。くり返しくり返しくり返し。

日本人の謎のリーダーシップの欠如は、やもすれば同じアジア圏において中国韓国香港シンガポールその他各国に劣る可能性があり、グローバル企業が地の利として「アジアはアジア、ひとつ」と考えると、日本人は(英語が下手という欠点もあり)採用からこぼれる可能性があると指摘しています。

本書の特徴の一つは、やたらと日本人vs.外国人(とくに欧米、またはアジアのトップ人材)の比較となっており、日本人が外国人に比べてどの辺が劣っているかを延々と指摘し続けます。読み進めていると、伊賀泰代様の発言は全て正しく、トライアングル構造・ヒエラルキーの中で働き上司の判断をいちいち仰がないと進んでいかない日本企業は阿呆なんだと思いますし、電車に乗っていて明らかに席譲るべき場面でそうできない自分も阿呆なんだと思いますし(本書内では、あらゆるケースにおいて「こうすべきだ」と自分の考えを持ち、実際に動ける人間が「正解」とされています)、なんかもうとにかく日本人阿呆でごめんなさい、今後はアジアの末席でフィリピンのコールセンターの下請けの仕事します英語わかんないしごめんなさい、みたいな気持ちになります。

 

読者諸賢はなぜ日本人にはリーダーシップが不足していると考えるか?

私の小学校の頃のトラウマの話をします。

私、逆上がりができなかったんですね。むろん今もできない。記憶が確かなら一度もできたことがない。でも小学校では体育で逆上がりの時間があるし、テストもたしかあった。でもどうやったら逆上がりできるようになるか?のハウツーって、無かったんですね。なんか友だちにおしり持ち上げてもらったり、足で駆け上がってくガイドを蹴ってまわろうとしたり、色々ありましたが、それは一人で逆上がりできるようになるためのツールではない。

小学校においては先生から「君は逆上がりができないので、逆上がりが出来るようになれ」という指導された。「takemyhandsさんは跳び箱が4段までしか飛べません。テストは6段でやるので、6段飛んでください」ていう、指導。

で、自分は友だちに付き合ってもらって練習した。でもその練習は、出来もしない逆上がりのフリを何度も何度もやってるだけ。だからすぐ飽きた。跳び箱も。どうせ6段に向かったところで、おしりが箱に乗り上げるだけ。なんどやっても。だから飽きた。

身体をどうつかって、腕は?足は?踏み込みはどうしたらいいのか?って、指導されたこともなければ考えたこともなかった。だから出来なかった。人の動きを真似して習得しようという考えがないことは自分の落ち度なのだろうけど、先生から”出来ない、を、出来る、のフェーズに持っていく”ような影響を受けた記憶もない。

なぜ私は逆上がりができないのか? なんて考えたこともなかった。

 

「日本人にはリーダーシップが不足しているので、リーダーシップを持ってください」というのは、どこかの企業の採用担当者の物言いなら理解するけれども、読者から1500円を回収して活字を売った著者の物言いだとしたら、物足りない。ところが残念ながら、本書は概ね「リーダーシップ持ってください」レベルで登頂を迎えており、その先がありません。

なぜ日本人はリーダーシップが不足しているのか。世代別に捉えたらどうなのか?戦後レジーム的なメンタリティなのか?それでも高度経済成長できたのはなんでか?そういう分析を加えて行ったら、もしかしたら日本人の多くがリーダーシップを捨てた背景が見えてくるかも知れない、合理的行動として捨てている可能性もある。(といいつつ、私は、自分及び周辺の人間のリーダーシップの欠如は、初等教育の失敗、だと思っているけれども)

そして、われわれは、どこかに置いてきてしまったリーダーシップをどうやって修得したらよいのか?…そこの分析と対策立案が肝心要であり、リーダーシップのある人間とはどんな行動をするのか?というモデルケースをいくつも読んだところで、なにか心の奥のディープなところでブレーキのかかっているそれは、簡単には解放されず、本書が提示する人材像を達成するには、なにか心の奥底の鍵でも探しに臨床心理士の元にでも通ったほうがいいんじゃないかとか、へぼなアイデアが浮かぶのです。

 

鳴らされた警鐘はたしかに響いて、俺明日からどうしようかな、という気分になる

で、どうやったらリーダーシップを取れるのかは本書を読んでもわからなかったのですが、よくよく考えてみると私は会議その他の場でさっそうと司会兼主役に踊り出、議論をリードしまくり、参加者の顔が辟易としてきた頃に我に返ってガクブルしたところで先生の出る杭への鉄槌を喰らいスピリチュアルアタック→鬱、というルートを学習することなく幾度も繰り返してきたたちだったので、元々リーダーシップがあるものと思われ、「英語と年齢の問題さえなんとかなればマッキンゼー行けそうな気がする」という安い勘違い感想を持つに至りました。

しかし、「リーダーシップを取ることには、恐怖感もある、実際に出る杭は打たれるというリスクもある、だから得ばっかりとは思えない」という鬱思考を打破できるような力は本書にはありませんでした。本書のテンションで行くと「リーダーシップを取ることは絶対に正しい。取って出る杭として打たれるなら、それは打ってる奴が阿呆。すなわち日本人は全員阿呆、悔い改めよ」という結論になってしまいそうなのです。

でもそれにはやはり違和感がある。安易な日本人vs.外国人論に対する違和感なのかも知れないし、著者がワールドワイドな人脈の中にいたとしてもどうも日本人に自虐的すぎるんじゃないかという気もするし、それに読者はマッキンゼーで働く人よりマッキンゼーで働かない人のほうが多いし、むしろ伝統的日本企業でぬくぬくと終身雇用の風呂に漬かり一生を終える・でも意外と日本は強い国だったよねていう結論、という具合のサラリーマンのほうが圧倒的に多いわけです。

ただ確実に言えるのは、だいたい誰だってある場面において「こうしたほうがいい」という気持ち・意見は持っているもんだと思います。会議してて強制的に指せば、質は別として何がしかは出てくるものだから。その「こうしたほうがいい」という気持ちを大切にすべしと、そして行動することがベターだと、本書はそれを伝えようとしているんだと思います。何かと上司の顔や会議の雰囲気をうかがい、自分の意見を抑圧し、あれよという間に決まる多数決(または上司の鶴の一声)。しかしながら、意見形成をしたメンバーが全員自分の意見を抑圧し、空気だけ読んで適当に意見賛同している可能性がある。本心や本当のperfect answerは全く別のところに潜んでいる可能性がある…そういう「賢」を掘り起こすことが必要だし、そのためには個々の行動がキーになっている、と、そういうことなんだろうと思います。

 

提示すべきは「ハウツー」ではなくて「成功体験の明示」かもしれない

リーダーシップを取ることはなにかと怖い。

私はその、リーダーシップの取り方を提示してくれない、という意味で、本書の物足りなさを指摘しているわけだけど、普段からリーダーシップ取りまくりの人からしたら、逆にそれを取れない理由がわからなくて、ハウツーなんて説明できないかも知れない。

私はリーダーシップを取ったり、取ろうとしたりして、結果的に仕事に疲弊した経歴の持ち主なので、それが怖いことだってことも分かるし、リーダーシップ取ること・取らないことの差もなんとなく分かるけど・・

賢明なる著者並びに同業者の皆様に伝えたいことは、リーダーシップを取ることは怖くない、ってちゃんと伝えて欲しいってことです、成功体験の明示により。サーフィンみたいなもので、はじめは怖いけど、上手いことリーダーシップ取れるようになった後のリターンはすごく大きい、ということなんだと思うけど。そして、リーダーシップ取れてたのに取ることに尻込みして仕事から逃げた私さえも、仕事にフィールドに呼び戻せるほどに強烈なインパクトで、そして意外とカンタンと思える手軽さで。われわれ日本人は自虐するほどアホじゃない。足りていないのはリーダーシップのみ。そしてそれを取ることは実はイージー。それを証明して欲しいものだと思います。

私は怖いから出来ないと思ってる。でもそれはつまり「怖い」をなくせば、もう出来るってこと。出来ない理由を考えて潰せば、なんでも出来るようになるんだということ。

 

ほんじゃーねー