英語というツールの先に(2) - 海外生活blog

 前回に引き続き英語の話をしますが、私は引き続きドイツに住んでいます。

 

起承転結のないだらだらコンテンツ

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  3. これから

2-2. 英語というツールの先にあったもの(2) - 私達のお勉強の終点

目標の英語力を得た先になにがあるのか

英語力を測る国際的な尺度の一つにCEFR (Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment)というものがあります。(参考リンク:

資格・検定試験CEFRとの対照表|資格・検定試験 関連情報[英語4技能試験情報サイト]

こんくらい英語ができたら"B1"とか”C1"とか決められていて、イギリスで外国人が大学に入学するために必要とされるIELTS6.0とかっていうのはだいたいB2、普通に英語話者として就職するための目安とされるケンブリッジ英検CAE取得がC1あたりになります。

私は昨年末から今年の頭にかけての3ヶ月間、イギリスはロンドンで語学学校に通っていたのですが、入学時のクラスがB2、卒業前にひとつクラスが上がってC1で卒業(というか修了)しました。ちなみにIELTSとかケンブリッジ英検受験コースではなくて、一般英語のコースです。

C1のクラスというのは当時、そこの語学学校の最高レベルのクラスで、クラスメイトはEU人、南米人、ハイソ系韓国人といった構成で、私は自分自身の英語力をクラスでダントツ最低だと思って日々ストレスを貯めつつも、自分をC1に放り込みやがった語学学校の先生の意図、自分の何を見ているのかを観察しようとちょっと必死になっていました。

 

語学学校の教師は、出身国別で生徒の英語力の傾向、性格の傾向などを掴んでいるもので、イタリア人の発音はやばい、フランス語系アフリカ人の発音もやばい、EU圏の人はマシンガントークできても文法が終わってる、日本人は文法が完璧で語彙も豊富なくせに全然クラスでしゃべらない、など。

日韓の生徒は、激しい受験戦争のためか概ね良好な文法力をもって語学留学に臨んでいると見られていて、かつ、韓国人は自己表現に優れているので発話も良い。しかし日本人は全然しゃべらない。日本人にクラスで発言させることが、教師の腕の見せ所などと言っている先生も居ました。

なぜ日本人は英語をしゃべらないのか?私が出会った先生たちはそれを「恥ずかしがっているからだ」と考えていて、「Don't be shy! とりあえずこの件について自分の意見を述べよ」と言ってくるのです。

 

私もご多分に漏れず授業中会話にカットインすることが本当に難しくて苦労しました。文化圏によっては、人が喋っているところに堂々割り込みをすることが別に無礼ではないとされているところが多く、延々と続く卓球のラリーを首を左右に振りながらただ眺めるだけの時間を過ごしたりもしました。

「しゃべりなんて文法的に正しい必要ないんだから、過去形も現在形も複数形もなんでも適当でいいからとにかく中身を喋って!」

確かに当初は、自分がしゃべりたいことを脳内で逡巡して、カチッとした文章が出てきてから口にだすようなところもあったと思うのですが、だんだん慣れてきて喋ってる途中に文が途切れても「Erm...(あ〜‥)」と言って繋いでおけばOKなどと理解できてくるのですが、やはり発話量がクラスメイトより足りないことは明白なのでした。

 

「節子…!これ英語力やない、性格や…!!」

 

目の前で繰り広げられる議論において、あえて自らバトンを奪いに行ってまで自分の意見を表明しなくてもいっか、みたいな。学級会でも会議でも、めんどくさいところで当てられると気まずいから目を伏せているような、そういう場面で、インターナショナルクラスメイトたちはむしろ奪い合うように発話権というボールを追い回し、ボールを手に入れた暁には"デートアプリで恋人探しをするのは有りか、無しか"等の、3秒冷静になるとどうでもいいような議題(先生が設定)にたいして熱っぽく自説を展開するのです。

英語力が!C1相当でも!国際的な人間関係の中でプレゼンスを発揮するには!この!バトンを!ボールを!奪いに行って!自説を展開する!やる気!スイッチ!ONが必要!!

英語だけじゃだめじゃん!!!

 

そう、仲間と同調し、多数派に合流し、突飛な意見を飲み下し、常に民主主義がつつがなく執行されることを是として義務教育を通過してきた私達にとって、外国人の中で存在感を発揮しながら自分の意見を述べ、賛成されたり反対されたりしながら揉まれていくことは、なかなかにして難しいのです。

英語ができるだけじゃだめなのでした。英語のその先には、日本の義務教育文化が育んだ自分の性格をデストロイ&リビルドするという儀式が、必要だったのです。

 

そして私はある日意を決して、"最低の元カレの話"等のプライベート、政治信条、宗教観、自分のパーソナリティ・フルご開陳という、怪しい茂みに迷い込んでいったのです。

 

ロンドンの先のドイツに 〜 英語が身に馴染んだあとの世界

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TRANSPORT MUSEUM of LONDONの特別展示"Night Tube"の広告ポスター。
深夜地下鉄、ドライバーとの労働条件の折り合いつかず実現してないのにしたたかにも堂々と展示

 

私はそうして無事、語学学校という怪しい茂みを英語力C1程度という嘘認定証とともに抜け出し、仕事のためドイツに引っ越してきました。

ドイツ人は公称、約40%は英語話者とされ、確かに仕事をしていて大卒・院卒・博士タイトル持ちなどと渡り合っているとその英語はほぼ完璧なのですが、日々の生活、スーパーの店員さん、洋服を売ってくれる人、バスの運転手さんに英語が通じるかというのはケースバイケースであり、日常生活ではガンガンにドイツ語で話しかけられるし英語でどうにかしようとするにもそれはそれで押していく勇気がいります。

私のようなヘタレの日本人は、通じるかわからないドイツ人に英語で特攻するよりは、ちまちまとNHKラジオ講座の初級ドイツ語を学習し、自らドイツ語を習得したほうが気が楽だなんて思いつつ、特に勉強もしないわけです。

 

私はロンドンでの語学学校生活をとても気に入っていて、結果的にはとても満足していて、韓国人やフランス人のクラスメイトと英語でカフェでだべっている、それができている自分にも満足していたし、もちろん英語力があきらかにどこか欠けているんだけど、目先必要なことは事足りているような気がして、ある高みに上り詰めたような気がしていたのです。

私は製造業のエンジニアで、ドイツで仕事を始めてからは毎日オフィスで英語のメールを読み書きし、取引先と英語で面談するし、週に1、2回は英語で外部と電話会議(電話会議は音声の質も悪いし顔も見えないので結構難しい部類の英会話です)もするし、それができているし、だから英語はじゅうぶんにできているのだと思ってのほほんとしていました。

 

そんなころ、私はロンドン在住の会社の同僚(ドイツ人)とパリで落ち合って、5日間の旅行をともにしました。彼女とはずっと英語で会話をします。そして気づくのです。"Sooooo frustrated! Words don't come!!!" 言葉が出てこないのです。

 

仕事ばっかりやっていて、最低の元カレの話も、日本人の心に神が居ない話も、J-popがダサいはなしも、タイタニックが糞映画であるという話も、なにもしてこなかったから!言葉が出てこない。

覚えたはずの単語の引き出しがあかない。スラスラつなげられていた文章がつながらない。茹で過ぎたうどんみたいに、ぶちっぶちっと、美しい、スラスラの英語が途切れ、無様な断片となる・・・

 

英語の筋肉は落ちます(断言)

TOEIC990点という屋号を掲げている人が、いつごろから990点になってそれをどれくらい継続し、直近いつ試験を受けたのか?ということがふと気になることが有りますが、言われればあたりまえですが英語というのは一度習得しても忘れます。

しかも、肉じゃがのレシピを忘れたからググッて補完しよう、みたいなふうに簡単に外部リソースで補いきれないのが、英語を忘れることの一番のショックポイントです。文章を読んでいて忘れちゃった単語が出てきた時にはまた調べればよいのですが、自発的に喋っているときは単語やフレーズが自分の"モノ"になっていないかぎりは絶対に出てきません。

 

つまり、英語というツールを獲得した!と思っても、その先には、忘却との戦いがあるのです。

 

私は獲得した英語力を"努力"によって維持しなければならないとは言いたくないのですが、いずれにせよ何しかの形で英語のインプット(読む、聴く)とアウトプット(しゃべり)は継続的にこなしていかないと、ハリボテの成績であればあるほど、即くずれる砂の城です。

 

私はドイツ渡航後、仕事以外の場面で英語を話す機会が激減しており、それをなんとかイギリスのテレビ試聴、新聞読みなどで補っていこうとしていました。しかし、何をか言わんや、冒頭の通り、私は生来の性格からして言葉が出せない系日本人なわけです。英語力だけでなく、その性格面も徐々に、徐々に帰国の途をたどっており、友人と二人で部屋でくつろいでいても、くだらなければくだらない話であるほと口をついて出てこず、「まぁその件はいちいち言わなくてもいっか」みたいな、あうんの呼吸狙い・黙る日本人、のキャラクターを踏襲し、ドイツ人から見事寡黙キャラの称号を得るわけです。

 

英語がそこそこできるようになりました → 日本人の性格じゃあ英語話者になじめない! → なんとか頑張って自己表現して仲間に入れました → 仲間との別れ・ドイツ渡航 → 自己表現の機会も、英語を話す機会も減少 → また自分の英語力に悩むはめに。

 

これが、私が英語力獲得の先に見つけた次の土地です。

 

つぎ、「これから」というタイトルで何かを書くことを予告しているのですが、私は今日仕事中に必死でDMM英会話の広告を読み漁っていましたよ…私のこれからを助けてくれるのかを見極めるために…ぐぬぬ

もしどうにもならなかったら、坂本真綾の「これから」という曲の歌詞を書いて、本シリーズを終わろうと思います #適当

 

英語というツールの先に(1) - 海外生活blog

これから私は英語の話をしますが、私はドイツに住んでいます。

 

起承転結のないだらだらコンテンツ
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2-1. 英語というツールの先にあったもの(1)

そもそもなにができると英語ができる感を感じられるのか

高校・大学受験と学校においては英語は得意という意識で生きてきて、TOEICも860点まで行ったけど外国人とのコミュニケーションが全く取れなくて絶望した、というのが3年前・2013年の自分でした。

本稿の読者ターゲットをどこに設定するかによって、この物語がTOEIC860点時点から始まることの是非が決まるわけですが、つまり英語学習者で現時点で600点で800点を目指す人からしたら本稿はまるっきし無駄、というふうに見えるかもしれませんが、私からするとTOEICで高得点を取ることと、外国人と英語でコミュニケーションをとることは、まったく違う種類のゴールであるということをまず念を押しておきたい。

 

で、TOEICが現状就活や昇進の一種の条件になっていることは仕事で英語を普通に使っているこっちがわの人間からすると極めて残念な状況で、つまり自分がそうだったように、TOEICスコアが高いことは必ずしも外国人と英語でコミュニケーションとれることを指さないわけです。

むしろ、TOEIC860点というのは、満点の990点と比較して130点も欠けているわけで、「てめーは130点分英語力が不足している」ということを示していることにほかならず。私はTOEICは減点法だと思ってます。

就職や昇進のためにTOEICを頑張らざるをえない現状を非常に残念に思いますが、それをやらんと日本の会社文化になじめないというのも事実。だから否定しませんけど、もし読者の目的が外国人と英語でコミュニケーションすることであるならば、TOEICの勉強は(たぶん)無駄です。文法が概ねさらえてれば取れると思われる700点くらいまたは英検2級あたりで資格試験はやめて、本質的な英語活用の方法を模索していくべきだと思います。

 

私が個人的に考え、経過してきた【これができると英語できると感じられるライン】難易度順。※私の個人的な考えの一般性は保証しません

  1. 英語でメールのやり取りが出来る;メール→読み書きに書けられる時間がほぼ無限

  2. 英語で簡単な会話ができる(買い物、挨拶など)

  3. ニュースサイト程度の短い文章が読める(辞書ありでも)

  4. 日本企業で求められるビジネス英会話ができる

  5. ノンネイティブと世間話

  6. 英語のテレビが字幕付きで理解できる

  7. ニュースサイト(短文)、本(長文)が辞書なしで読める

  8. ネイティブと世間話

7と8は入れ替わるかもしれないけど、まぁこんな感じと私は考えていて、自分はいま4はOKで5と6のあたりで格闘している感じです。

TOEICで860点を取った時、自分は28歳くらいで初の海外ビジネス(対アジア)から降りたころで、日々英語でのメールが大量にダラーっと流れてくるものの自分で発信しようとすると1メール1時間とかざらにかかるような状況で、英語の会議はほぼついていけなかったので上記スコアに当てはめれば自分は"2"でした。

"3"はどうなんだというと、これ根性の話なんですね。数百ワードの短文、大意は取れるかもしれないけど必ずわからない言葉が出てくる。敢えてその情報を英語で取りに行く必要があるか?ということ。自分を追い込まないとできないことです。海外のニュースサイトも多くが日本語版を持ってますし、Gigazineのように海外でバズっているギークニュースを日本語訳して紹介するサービスもある。

そしてTOEICの点数との整合性について補足しておくと、おそらく700点くらいあれば人によっては"5"まで行けるんじゃないかというのが私の見解です。実際取引先の外資企業・日本事務所の人で、上司がアメリカ人で、TOEICは700点強…という人がかつていたので

 

 ー つまり、ある程度の文法、ある程度の語彙があればペラペラ喋れる人は喋れる。要はどこまで完成度を求めるかという話、または、「完成度が高くないとうまくしゃべれない」という精神障壁を取り払ってベラベラ喋り始めるか、という話です。

で、私は後述しますがいろいろ理由があって、うまくしゃべり出せない。テレビを字幕付きで見ていても、知らない言葉がでてくると「んっ」となってバリアを感じ、思考が止まって没入できない、楽しめないことがある。

 

この精神障壁の取払い方は、むしろ私が聞きたいくらいなわけですが、とにかく以上のような理由で英語の海のアドベンチャーで戦える系の人はTOEICはそこそこで卒業して、さくさくと実戦をこなす場に移行されたほうがいいんじゃないかというのが私の意見です。

 

実戦の世界で何が見えてくるか

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イギリスの有名チープカフェチェーンCOSTAのカプチーノ
私はここの店員と上にココアパウダーをかけるかどうかの質疑応答に9割がた失敗しますが元気に生きています。

 

あえて実践ではなくて実戦と書いてみていますが、ドイツという地で私が英語に対してやっていること(のうち、誰でも日本でも出来ること)は以下の様な感じ。

  • Twitterで英米系報道(新聞・テレビ)のアカウントをフォロー。何が話題か知る。
  • イギリスのBBC、Channel4の事後配信サービスを字幕付きで見る(方法:Google「BBCを見る方法」
  • Harvard Business Reviewを読む(ひまなとき)
  • TEDを見る(すごくひまなとき)

驚くのは、これだけでも十分に”日本にずっと引きこもってたら人間の営みの1%も知れなかったんだ…こわ!"と頭を抱えられるということです。

たとえばいまイギリスでは、ロンドン市長にはじめてムスリムが選ばれたことが話題になっていますが、人種・宗教・性別のダイバーシティの問題は極めて大きな関心を持って市民から注目されていて、「移民受け入れによって経済発展を下支えするつもりはない」とトップが明言している国とはそもそものベースが違っています。日本において、中東出身の見た目をしているイスラム教徒が東京都知事になる日なぞ永遠に来ないような気がしますが、ロンドンではそれが現実です。市民が、積極的に、彼を選んでいるという。

 

そして私自身は、誰でも出来るわけじゃないかもしれない方法として、次のような経験をしました。

  • ロンドンで3ヶ月語学学校に通う

この経験は、自分が想像していた以上にカルチャーショックというか、価値観の転換でした。世界中の様々な国出身の非・英語圏クラスメイトに囲まれ、イギリス人またはアイルランド人の先生が目の前にいて、日本の義務教育経験者にはおよそ想像もできない、座学とは180度違う能動的参加必須の議論・討論型のクラス。

"結婚してる?" - してない, "じゃあ彼氏は?" - いない, "じゃあCasual Relationshipは?" - は??

まったく悪びれもなくセフレが居るか聞いてくるクラスメイト。「そんなの居ないし、居ても言わないよ!」"なんでー?そこがなんて秘密なのかわけわからん"

クラスにおいて私は、政治信条、宗教観、どうして日本人の心に神が居ないのか、オーラルセックスは有りか無しか、なぜ日本人は寿命が長いのか、飯か、酒か、アメリカ人は遺伝子組み換え食品ばっかり喰ってるからいつか死ぬのか、等々について議論し、自分の貧しい英語力に日々打ちひしがれながら、欧米圏出身でそこそこ英語ができてるクラスメイトからの同情の視線に耐えながら、ああ恥ずかしい、もっともっと英語うまくなりたい、でも勉強だるいな…って思いながら、クラスメイトにこう言われるのです。

 

"どうして君が自分の英語に自信がないのかよくわからん。普通に喋ってるじゃん"

 

そうしてようやく気づくのは、私が冒頭で示した8段階のうち、2か3か4くらいまで行ってれば、「俺は英語話者だ」という屋号を掲げてもよいのだということ。

 

日本という、いまだに精神的言語的鎖国が続いている国にいて決してわからなかったことは自分の英語が世界で生きるに足りているか否か、ということだった。TOEICってとどのつまり何点だと◎なのかわからん!どれくらい世間話できれば世間的にOKなのかわからん!

目の前の相手の言っていることがわからない時、「ごめん、いまの話ききとれなかった、もう1回お願いします」といって相手がゆっくり言い直してくれて、それで自分が「ああなるほど」と思えて、何か返答ができれば、それで十分だったと。

 

そういうことを、実戦の世界にでてきて私は初めて学べた。

(英語ってぜんぜんできなくてもできるっていうことにしてOKな言語だと)

 

そしてそれを理解し、普通に多国籍人のコミュニティに囲まれてうごうごし始めた時、はじめて「自分はこれくらい英語ができるようになりたい」と自分の目標を設定できるのだと思います。

 

ドラクエでいうと、いままで素手だったところ、とりあえず「こんぼう」を装備してスライムには勝てるようになった(=外国人と英語で最低限のコミュニケーションが取れた)

これからどうやってもっと難しいことをこなすか? 1)強い武器に持ちかえる、2)自分のちからを増やす。2)とは、自分のスキルは脇においてとにかくべらべらに喋ってざっくり聴いて理解すること。そこが上手ければはっきりいって雑な語彙力でもどうにでもなる。

 

でも、普通のまじめちゃんだったら1)をどうにかしたいと思うでしょう。それが私がいま、格闘していることでもあるのです。

海外生活が約半年過ぎました

このblogが一体何年前に設置されたのかも忘れたころに、なんとなく日々の考え事をアウトプットしたいと思うことがあり、ここを開いてみた。

最新の日記の完全なる無意味感に感動しつつ、自分が"海外生活"という人生初の"blogに書けるやんコンテンツ"を手にしている事実に震えつつ、引き続き完全なる無意味感を目指していくよ―― ということで、2015年11月に欧州生活を初めて約半年となりつつあります。

 

起承転結のないだらだらコンテンツ(予定)
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1. 駐在女子といういきもの

そもそもなんでblog書こうかと思ったかというと、最近twitterで駐在女子というカテゴリーが存在することを知り、まあ駐在にかぎらず単身海外で一般的なサラリーマンをしながらうごうごしている女性がそれなりにいてネットワークを形成しつつあることを感じたのがきっかけです。

これから海外駐在、海外転職、なんとなく海外進出を目論む方(とくに女性)にマイノリティな自分の醜態を晒し、混乱させるのが本稿の目的です。

いや、駐在女子ってキラキライメージが先行するじゃないですか。それを地味系アラサーが釘バットでデストロイしていくイメージでこれを書いています。

 

おそらく私はその海外リーマン女性のなかでも若干変わった経歴のはずで、職種は製造業(ものづくり技術系エンジニア)、完全独身33歳、現地の顧客やメーカーと折衝するために単身ドイツの"営業所"に赴任してきた、というのがざっくりとした現在のステータス。エンジニアですが研究所でも工場でも事業場でもない。周囲は営業とか経理とかいわゆる文系の人しか居ない。よって一応のレポートラインは存在しているものの上司も部下もなく、100%自身の裁量で仕事をしていて(←まぁこれは日本にいた時からそういう感じでしたが)、自分の仕事の定義に悩むこともありますが最近は【技術コミュニケーション・ネゴシエーション屋(ただし武闘派)】と名刺にでも書こうかなと考えております。

 

他社さんの駐在員、ましてや女性と知り合うことは皆無なので、というかそういう会合にあまり顔を出していないので、駐在女子とかいってカテゴライズしようとしても我輩には無理なのですが、N=1の自分の生活を晒すと、まぁ地味なもんです。

英語については別の機会に語るとして、ドイツ語は生活に支障が出るレベルで話せないので(電気代の誤請求は会社のドイツ人同僚に解決を委ねました)、アフター5を充実…とかそういうレベルまで人間力が高められないのです。ていうか電気代に関しては誤請求であることに気づけた俺GJ!! Google Translate & Bing Translateサンキュー!!ていう話です。英独翻訳は後者がおすすめです。

というわけで、平時は自室で料理、Kindleで日本から電子輸入した読書、後述しますがイギリスのテレビで英国人力英語力を高める自主トレ等に興じております。

 

ただ日本での生活と比せば、当然生活は一変しました。

月1〜2でEU圏内出張があり、仕事でドイツ複数箇所、ロンドン、ミラノに足を運び・・・しかし平時の仕事は現地に根ざした労働条件もあるので、基本的に週の労働時間は45時間未満。100%自主裁量労働なので休暇も日本の100億倍くらい取りやすい。

食べ物の高価・安価が日本とは違うし、日本食材は基本的に高いので、食事の組み立ても一変。値段の安いパン、牛乳、ヨーグルト、季節物の果物、肉類を中心に据えつつ、オーバーカロリー防止に腹をなるべく玉ねぎ、キャベツ、セロリなどの安価な繊維野菜で埋める…みたいな料理をしています。ドイツは加工肉が無限にあるのですが、酒飲みでないというのと、火の通っている料理が好きなので、まだ加工肉の真髄に達していません。そこはちびちびやっていきたいな、と。

 

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ドイツの有名巨大スーパーReal-,の加工肉売り場。この冷蔵庫ずっと加工肉でもう一列加工肉がある

 

夫や恋人がいて一緒に住んでいるだとか、欧州人の恋人が出来るだとかしたら、さらに文化的な大転換が起きることが予想されるのですが、一人でいる限り自分の周囲半径50cmはやはり日本だし、ネット開いたら日本だし、赴任中に起きたSMAP解散騒動とかもちゃんと知っているし…ネットとSNS電子書籍の発展によって、バーチャルな日本はドイツの我が家までしっかり拡張されているんですよね。だから、日本にいて地味だった人は、そのまま地味なのです。と、思います。

海外ならではの暮らし方をしたいと思って意欲的にそうしない限りには、日本の延長線上の生活が待っている。そこをひねって海外っぽくしていくのが正解かどうか?については、個人に依るんじゃないかと思います。もちろん海外っぽい暮らしをしないと勿体無いというのは理解するけど、そうしない人を不正解だと揶揄する勇気は私にはないです。(そして一般的な駐在員男性は、おそらく駐在女性よりもっと日本的な暮らしをしているか、または駐在員特権的なVIP暮らしをしてると思います、弊社はビンボーなのでそういう人は居ませんが)

 

ただ、地味を装いますが、こちらに来て起きた価値観の転換というのは決して小さくなかったです。おそらくこのまま帰国して、赴任前と同じ働き方はできないだろうというのを強く感じてます。労働時間的なこともあるし、英語をふつうに生活で使うようになってその先に見えた、英語でふだん暮らしている人たちの価値観、または英語による報道が試みるグローバルスタンダードの定義と日本の文化との差分、そのあたりを知るに、日本はやはり何かおかしいのです。日本式教育が根付かせた規範意識、"あるべき姿"が、私達が本当にやりたかった生き方を制限し、縛っていると感じる。

そのあたりの窮屈な気持ちと、英語を知ったことで拡張されていった自分の知恵、考え方の話を、ちびちびと今後書いていきたいと思います。

 

あと多分誰の参考にもならない英語のTipsも書き残していこうと思いますです。

 

プログレッシブ 英語コロケーション辞典。
動詞と前置詞の組み合わせ、動詞と名詞を組み合わせるフレーズなどの見直し用に。パラパラめくるだけで、へ〜となる。例文も充実。ただし20%位の割合で知りたかったことが載ってなく結局辞書をひくハメになる。どちらかというと読み物的使い方で調べ物には不向き。